ペニー・ハーダウェイという選手をご存じだろうか。
「ポスト・マイケル・ジョーダン」と呼ばれ、新たな時代を作るとまで期待された選手である。
ポスト・ジョーダンと呼ばれた選手は、ペニー以外にもいる。
しかし、「ジョーダンの後を継ぐ選手」ではなく、本当にジョーダンを超えるかもしれない。少なくとも当時の自分に、そこまで思わせた選手はペニーだけだった。
今回は、記録に残っているペニー・ハーダウェイと、自分の記憶に残っているペニー・ハーダウェイの両方を書いてみたい。
※スタッツや経歴は2026年8月11日時点で確認できた情報をもとにしています。
※当時の印象については、筆者自身の記憶を含みます。
201cmのポイントガード
ペニーの本名は、アンファニー・デオン・ハーダウェイ。
身長201cmの大型ポイントガードで、1993年のNBAドラフト全体3位で指名された。
ドラフトではゴールデンステート・ウォリアーズに指名されたが、直後にクリス・ウェバーとの交換でオーランド・マジックへ移籍。前年のドラフト全体1位だったシャキール・オニールとコンビを組むことになった。
NBAでは14シーズン、704試合に出場した。レギュラーシーズンの通算平均は、15.2得点、5.0アシスト、4.5リバウンド、1.6スティールである。
ペニー・ハーダウェイの主なスタッツ
| シーズン・区分 | 出場 | 平均得点 | 平均アシスト | 平均リバウンド | 平均スティール | FG成功率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1993-94(新人年) | 82 | 16.0 | 6.6 | 5.4 | 2.3 | 46.6% |
| 1994-95 | 77 | 20.9 | 7.2 | 4.4 | 1.7 | 51.2% |
| 1995-96 | 82 | 21.7 | 7.1 | 4.3 | 2.0 | 51.3% |
| 1996-97 | 59 | 20.5 | 5.6 | 4.5 | 1.6 | 44.7% |
| オーランド在籍時 | 369 | 19.0 | 6.3 | 4.7 | 1.9 | ― |
| NBA通算 | 704 | 15.2 | 5.0 | 4.5 | 1.6 | 45.8% |
| プレーオフ通算 | 64 | 20.4 | 6.2 | 4.7 | 1.9 | 44.8% |
※数値は1試合平均。オーランド在籍時とNBA通算はレギュラーシーズンの成績。
この数字だけを見ると、なぜペニーがそれほど期待されたのか、分からない人もいるかもしれない。
しかし、ペニーの本当の凄さは、怪我の影響を受けたキャリア通算成績だけでは伝わらない。
オーランドでプレーした369試合では、平均19.0得点、6.3アシスト、4.7リバウンド、1.9スティール。
特にNBA入り2年目の1994-95シーズンには、平均20.9得点、7.2アシスト、フィールドゴール成功率51.2%を記録した。
翌1995-96シーズンも、平均21.7得点、7.1アシスト、フィールドゴール成功率51.3%。2年連続でオールNBAファーストチームに選ばれ、1995-96シーズンのMVP投票では3位に入った。
得点だけではない。味方を生かしながら、自分でも効率よく点を取る。
それを201cmのポイントガードがやっていた。
シャックよりも、背番号1を目で追っていた
自分がペニーを初めて見たのは、オーランド・マジックの試合だったと思う。
具体的な試合までは覚えていない。
当時、テレビで大きく扱われていたのはシャックだった。
あれほど大きく、強く、それでいて速い。豪快なダンクでゴールまで壊してしまいそうなシャックが注目されるのは当然だったと思う。
しかし、自分が目で追っていたのは、その隣にいた背番号1だった。
当時から背が小さかった自分は、センターよりもポイントガード、シューティングガード、スモールフォワードを見る癖があったのだと思う。
その中でも、ペニーがペイントエリアへ切り込んでいく姿が好きだった。
長いストライドで守備の間へ入り、そのまま自分で決めることもできる。空中で体勢を変えてシュートを打つこともあれば、最後の瞬間に味方へパスを出すこともある。
ゴールへ向かっているのに、最後まで何をするのか分からない。
速さだけで抜き去るというより、長い身体を使って守備の隙間へ滑り込んでいくように見えた。
細長いシルエット、黒いピンストライプのユニフォーム、そして背番号1。
すべてが印象的だった。
若い二人が、NBAファイナルまで進んだ
ペニーとシャックの成長は早かった。
ペニーが加入した1993-94シーズン、マジックは球団史上初めてプレーオフへ進出した。
翌1994-95シーズンには57勝25敗。プレーオフでは、現役復帰したマイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズを破り、NBAファイナルまで進んだ。
ファイナルではヒューストン・ロケッツに4連敗したが、当時のペニーはまだNBA入り2年目、シャックも3年目だった。
負けたことよりも、「この若い二人は、これから何度ファイナルへ来るのだろう」と思わせるチームだった。
1995-96シーズン、マジックはさらに勝ち星を伸ばし、60勝22敗を記録した。
だが、プレーオフでは72勝10敗のシカゴ・ブルズに敗れた。
それでも、シャックとペニーが一緒に成長を続ければ、いずれNBAの頂点に立つ可能性は十分にあるように見えた。
好きだったが、少し怖くもあった
自分はペニーが好きだった。
ただし、オーランド・マジックのファンだったわけではない。
ラリー・バードの時代から、応援していたのはボストン・セルティックスだった。
当時のセルティックスは、なかなか勝てない時代に入っていた。
だからマジックと優勝を直接争っていたわけではない。それでも、シャックとペニーの若いコンビには、期待と同時に少し怖さも感じていた。
この二人がそのまま成長したら、これから何年も勝ち続けるのではないか。
今のように、選手同士の関係や移籍の噂、チーム内部の事情が、日本にいる一ファンのところまで即座に届く時代ではなかった。
自分に見えていたのは、コート上の二人だけだった。
そして、その未来は恐ろしいほど明るく見えた。
シャックが去り、ペニーのチームになった
しかし、1996年の夏にシャックはロサンゼルス・レイカーズへ移籍した。
二人がオーランドで一緒に戦ったのは、わずか3シーズンだった。
シャックが去ったあと、マジックはペニーのチームになった。
1997年のプレーオフ1回戦、マジックはマイアミ・ヒートに1勝3敗と追い込まれた。そこからペニーは、第5戦で42得点、第6戦で41得点を記録する。
シリーズには敗れたが、絶対的な相棒を失ったあとでも、一人でチームを引っ張れることを見せた。
キャリア通算のプレーオフ成績は、64試合で平均20.4得点、6.2アシスト、4.7リバウンド。レギュラーシーズンよりも平均得点とアシストを伸ばしている。
大きな舞台で力を発揮できない選手ではなかった。
膝の怪我で失われた時間
ところが、ペニーのキャリアは膝の怪我によって大きく変わってしまう。
1997-98シーズンは19試合の出場にとどまった。その後も以前のようにシーズンを通してプレーし続けることが難しくなり、フェニックス・サンズ、ニューヨーク・ニックス、マイアミ・ヒートへと所属先を変えた。
もちろん、怪我をしたあともNBAで長くプレーしている。
それでも、自分たちが見たかったのは、これから全盛期を迎えるはずだったペニーだった。
オールスターには4回選出され、オールNBAファーストチームにも2回選ばれた。それだけでも十分に優れた実績である。
だが、ペニーに向けられていた期待を知っていると、「十分に成功した選手だった」だけでは終われない。
まだ完成する前に、身体が追いつかなくなってしまった。
そんな印象が残る。
沢北栄治のモデルの一人とも言われている
ペニーを知らない人でも、『SLAM DUNK』の山王工業のエース、沢北栄治なら知っているかもしれない。
沢北は、ペニーがモデルになった選手の一人ではないかとも言われている。
実際、沢北が見せた片手のダンクや、空中で身体を動かして相手をかわすプレーには、当時のペニーを思わせるものがある。
ただし、原作者の井上雄彦先生が「沢北のモデルはペニー」と明言した一次資料は、今回確認できなかった。
そのため、公式設定として断定することはできない。
それでも、両者のプレーを見比べると、そう考えたくなる気持ちはよく分かる。
記憶は美化されているのかもしれない
ここまで書いてきたが、自分の記憶は美化されているのかもしれない。
ペニーより多くの得点を取り、長く活躍し、優勝した選手はたくさんいる。
キャリア通算15.2得点という数字だけなら、歴代最高の選手とは言えない。
それでも、当時の衝撃まで間違いだったとは思わない。
NBA入り2年目でファイナルへ進み、2年連続でオールNBAファーストチームに選ばれ、まだ24歳でMVP投票3位に入った。
「いつか凄い選手になる」と期待されていただけではない。
若くして、すでにNBAのトップ選手の一人だった。
記憶の中で大きくなった部分はあるかもしれない。だが、記憶を作るだけの実績とプレーを、ペニーが残したことも事実だと思う。
まとめ|続きが見たかった選手
当時の自分はセルティックスファンだった。
シャックとペニーがこのまま勝ち続ける未来には、少し怖さもあった。
しかし、今になって思う。
あの二人が別れず、ペニーが大きな怪我をしなかったら、オーランド・マジックはどんなチームになっていたのだろう。
ジョーダンを超えられたかは分からない。
NBAの頂点に立てたかも分からない。
それでも、その答えをコートの上で見てみたかった。
ペニー・ハーダウェイは、残した記録だけでは語りきれない。
自分にとっては今も、「続きが見たかった」と思わせる背番号1である。


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